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駅鈴が取り持つご縁!三重県松阪市と島根県浜田市は鈴コレクター「本居宣長」つながりでした
駅鈴が取り持つご縁!三重県松阪市と島根県浜田市は鈴コレクター「本居宣長」つながりでした
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三重県松阪市に本社があるインフォコネクト株式会社。
JR松阪駅を出るとすぐに目に飛び込んでくるのが大きな鈴のモニュメント。駅前ロータリー公園にあるこの鈴は、本居宣長ゆかりの遺品「驛鈴(えきれい)」と呼ばれるものを模したものだそうです。
松阪市にはこれ以外にも、マンホールに鈴が描かれていたり、「鈴の音バス」や「鈴の森公園」など名前に鈴が付いた施設など、何かと「鈴」に因んだものが多かったりします。
この鈴推し松阪に大きく影響を及ぼしているのが、先の本居宣長。
今回は、三重県松阪市で生まれた国学者「本居宣長」についてとりあげてみます。
本居宣長
■ 参考:本居宣長記念館
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1730年6月21日、伊勢国松坂(三重県松阪市)の木綿商である小津家の次男として生まれる。
名前は小津栄貞(よしさだ)、幼名は富之助といい幼少の頃より習字や漢籍を学び執筆活動も行っていた。
16歳の時、江戸大伝馬町にあった叔父の小津孫右衛門の店に商売見習いとして寄宿する。
22歳の時に小津家を継ぐが、木綿店が窮地に陥り破産してしまう。
その後、母の勧めによって医師を志し、23歳の時に京都へ上る。上京の際に先祖の姓である「本居」に、26歳の時に名を「宣長」と改め、28歳までの5年半の間に、医学を修めながら、古典や和歌などについても勉強する。
京都から松坂に戻った宣長は医師として開業する。その傍らで『源氏物語』などことばや日本古典を講義し『日本書紀』の研究に励む。
伊勢神宮参拝のため松坂を来訪した国学者賀茂真淵と会い、弟子となったのを機に、『古事記』の研究に力を注ぎ、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆した。
29歳で始めた『源氏物語』の講釈も約40年に及び、その源氏研究の集大成が『源氏物語玉の小櫛』である。
『源氏物語』の根底にあるのは「もののあはれ」だとして、「此物語は、よの中の物のあはれのかぎりを、書きあつめて、よむ人を感ぜしめむと作れる物」であり、そこに儒仏の倫理観を持ち込んでも意味がないことを主張する。
このように、多くの古典研究の本を著し、国学を大成させた人物と云われており、自宅で国学も教えるなど、宣長の弟子は490人にも及んだとも云われている。
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本居宣長の略歴・概要についてはこんな感じです。
なんとなく学生時代にも教科書に出てきたかなという内容でしたが、学校では教えてくれない本居宣長と、松阪市・浜田市の関係についてはここからが本題。
本居宣長は無類の鈴コレクター、好きが高じて鈴を京都で作らせたり、自分の書斎を「鈴屋」と呼んだりと、そのコレクターぶりには脱帽です!
そんな宣長の鈴と言えば、書斎に掛けられた「柱掛鈴」や「十字鈴」、京都で作らせた「鉄鈴」などが有名ですが、現代の松阪市に多大なる影響を及ぼしているのが、前置きに出てきた「驛鈴(駅鈴)」です。
この鈴は、石見浜田(今の島根県浜田市)藩主松平康定から贈られたものだそうです。
当時、康定が伊勢神宮参拝の途中で松坂に泊り、宣長の『源氏物語』講釈を聴講しましたが、その講釈にたいへん感銘を受けられ、そのお礼として、宣長の大好きだった鈴が贈られました。
驛鈴とは、律令時代に朝廷が地方に行く役人に身分証として支給していたとても重要なものです。
当時の交通手段は馬を乗り継いでいましたが、官史が諸国に向かう時には朝廷からこの驛鈴と伝符を賜り、道中鈴を鳴らして官吏であることを示し、駅家(うまや)では鈴と伝符を示し次の馬を徴用していました。
しかし、伊勢神宮と京都を結ぶアクセスロード上にある松坂は、神領と外界のブレークポイントとされ、驛鈴の音を止め、身を清め、静々と神の領域に入っていくものとされていました。
さらに同行者(案内人等)は入ることを許されず、神宮より迎えに来た使者と交代するほどでした。
そんな名残もあって、松阪市内には「馬」に因んだものもあり、現在の駅部田町(まえのへたちょう)は「馬屋の傍(部田)」がなまったものと云われ、松阪駅前にある「よいほモール商店街」の歩道にも馬問屋跡の標識があります。
話しが少し逸れてしまいましたので、少し戻します。
源氏研究の集大成である『源氏物語玉の小櫛』ですが、実は宣長は執筆することを断念していました。
1763年に著した『紫文要領』にて源氏論を展開し、それに補筆し本書を執筆しようと考えていましたが、『古事記伝』などで多忙のために断念していたのです。
それが、宣長の講釈を受けた浜田藩主松平康定の懇望によって執筆され、完成したとされています。
JR松阪駅を出てすぐの駅前ロータリー公園にあるこの鈴のモニュメントこそ、松平康定より贈られた驛鈴を模したものなのです。
平成23年9月に松阪市を訪問した「浜田市ボランティアガイドの会」の皆さんが、両市のこの歴史的なご縁を知り交流が始まり、平成26年には「友好の会」が結成されました。
その後、平成28年4月2日、松阪市と浜田市に「驛鈴で結ぶ浜田市・松阪市 観光・文化交流協定」が締結され、観光・文化振興や地域経済の発展などに向けての交流が深められています。
このように鈴に縁の深い松阪ですが、その由来はまさに本居宣長によるものだというのがよくわかります。
去る7月15日に開催された祇園祭では、鈴をテーマとして創作された「松阪鈴おどり」が行われるなど、現代の松阪市民にもこの「鈴」と「本居宣長」は親しまれています。
さらには、懐かしい学校の風景の一つに「二宮金次郎の像」がありますが、松阪市の第一小学校には、二宮金次郎の像ならぬ「本居宣長の像」があり、郷土を愛する心も育まれている気がします。
そんな第一小学校の近くにある「本居宣長記念館」には、本居宣長の自筆稿本や自愛の品約一万余点が収蔵されています。2017年3月にリニューアルされ、より分かりやすく楽しめる展示内容となっています。
またその隣りには、宣長が12歳から亡くなるまで暮らした旧宅「鈴屋」が公開されていて、偉大な国学者の当時の生活が偲ばれます。
興味を持たれた方、もっと詳しく知りたいと思われた方は、ぜひ見学してみてください!
■ 本居宣長記念館
所在地 : 〒515-0073 三重県松阪市殿町1536-7
電話番号: 0598-21-0312
休館日 : 月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌火曜日)・年末年始
開館時間: 9:00~16:30
入館料 : 大人400円・大学生300円・子供(小学4年から高校生)200円
■幕末維新のルポライター!三重松阪が輩出した北海道の名付け親「松浦武四郎」
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■「三越」の名前の由来は松阪にあり?豪商のまち松阪と大商人「三井高利」
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■駅鈴が取り持つご縁!三重県松阪市と島根県浜田市は鈴コレクター「本居宣長」つながりでした
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■織田信長に才能を見いだされ、豊臣秀吉が恐れた稀代の名将「蒲生氏郷」
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